聖書箇所 マタイ11:2~6
ヨハネは、牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、弟子たちを送って、尋ねさせた。 「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、他の方を待たなければなりませんか」。 イエスは、お答えになった。「行って、見聞きしていることを、ヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は、福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は、幸いである」。 1.ヨハネの問い ここで、バプテスマのヨハネが、イエス様に尋ね、イエス様がお答えになっています。牢獄につながれたヨハネが、弟子たちの口を通して、キリストに訊きました。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、他の方を待たなければなりませんか」。 その意味するところは、こうです。イエス様、あなたは本当に、イスラエルに約束された、救い主なのですか、あなたは本当に、この世のすべての権力以上の力をもって、信じる者を義とし、聖とし、祝福してくださる、神の御子なのですか。 イエス様、あなたは、そのお方であるのですか。それとも、わたしたちが、待たなければならない、別のお方が、後から来られるのでしょうか。 イエス様が、まことにそのお方であるのかどうか。それは、好奇心や興味本位の問題ではありません。これを問う人にとって、その正しい答えを得ること、「わたしが、それである」と答えてくださる方と出会えるかどうかということは、人生において最も重要な事柄、本当のことを言えば、己の命さえ、かかっているような事柄なのです。 もし、その答えを聞くことができなければ、これまでの神の僕であった人々、モーセやエリヤ、ほかの多くの神の預言者たちも、無駄に救い主を待望し、語ったことになるのです。イエス様こそ、その方であるとの答えを得られなければ、ヨハネは、自分の命が取られるかもしれない牢屋の中で、救いを目の前にしながら、通り過ぎてしまうことになるのです。 イエス様こそ、救い主キリストなのでありますから、それを聞くことができなければ、永遠に来もしない他の救い主を、むなしく待たざるを得ません。 しかし、ヨハネにとって幸いだったのは、彼がまさに、イエス様に対して、それを尋ねたということです。ヨハネは、自分の心に対して「この人が、そうなのだろうか」と尋ねたのではなく、誰か、彼の友人や賢い学者に対して、それを尋ねたのでもありません。 この燃えるような問いを、彼は、その答えであられるナザレのイエス、その方に向けて、発したのでありました。「来るべき方は、あなたでしょうか」!イエス様ご自身以外の者、洗礼者と呼ばれたヨハネにも、わたしたちにも、この問いに答える力があるでしょうか。 この問いに対しては、キリストであるお方が、自ら「わたしが、それである」と言われるのでなければなりません。それ以外の者が答えても、それには、実質的な力がありません。それですから、ヨハネは、牢獄の中にありながら、わざわざ弟子を呼び寄せ、主イエスのもとに遣わして、直接に尋ねたのでありました。「イエス様、来るべき方は、あなたなのですか。それとも、他の人を待たなければなりませんか」。 2.主イエスに問う バプテスマのヨハネは、「来るべきエリヤ」とも呼ばれた人で、救い主の来られる道を備える人として、知られておりました。ですから、牢獄の中で苦しんでいた身とはいえ、ヨハネほどの人が、このように問うたということが信じられず、後の人は、この問いをいろいろに解釈してまいりました。 たとえば、ヨハネは、自分の弟子たちをイエス様のもとに送り、牢に入っている自分ではなく、これからは、イエス様の後に従っていくように、弟子たちのためを思ってしたのではないかと。 あるいは、洗礼者ヨハネといえども、このときには間違いを犯し、彼もまた信仰に誤りを持つ人間に過ぎなかったことを強調して、彼は本当には、イエス様がキリストであるということを、知らなかったのではないかと。 しかし、そういうものの見方は、あまりにも、うがちすぎています。聖書に書かれていることに対して、わたしたちが一般的に考えることや、知っていることを当てはめるときには、よほど注意が必要でしょう。 ヨハネはこの問いを、確かに自分自身の質問として、訊いたのです。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、他の方を待たなければなりませんか」。それに対応するように、イエス様も、はっきりと「行って、見聞きしていることを、ヨハネに伝えなさい」と言われました。 ヨハネは、イエス様が救い主であることを、本当に疑ったのでしょうか。イエスその方が、キリストであるということは、福音書におきましては、疑うことができない事柄です。主を3度否んだペテロでさえ、疑ったのではなかった、なぜなら、主イエスは、彼のために自ら「信仰がなくならないように」と、祈られたのですから。 そして、イエス様ご自身、「父よ、できることなら、この杯を、わたしから過ぎ去らせてください」と祈られたとき、神様の御心を疑ったのではありませんでした。主は続けて、「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と言われたのですから。 そのように、バプテスマのヨハネも、疑ったのではなかった、彼はイエス様を指し、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と証しした、最高最後の預言者であったゆえに、今、イエス様の御業について聞いたゆえに、「あなたは、キリストですか」と尋ねさせたのです。 信仰は、疑いを知りません。しかし、信仰といえども、問うことはあります。いや、信じる心こそ、神様に対し、イエス様に対して、問うものなのです。それは、知らないからではないし、疑っているからでもありません。 実に、信仰とは、すでに与えられて持っているものを、もう一度、主のもとで新しくされて、手に入れるということであるからです。信仰とは、そのようにして、繰り返し、主に近づき、主と交わり、主の恵みを受け取るということに他ならないからです。 信仰にとって、他の誰でもない、主イエスに問うということは、正しいことであり、彼こそ、神の答えそのものであるゆえに、この方に訊いた者は、答えを得るのです。わたしたちもまた、イエス様に対して、繰り返し問い、問うことが許されております。これが、ヨハネの質問から、わたしたちが、学ばなければならないことであります。 3.主の言葉に聞く 最後に、イエス様の答えに、目を向けましょう。ヨハネは、イエス様から直接、お答えをいただいたのではありませんでした。その答えは、弟子たちを通して、伝えられています。主の言葉を聞いたヨハネの弟子たちは、このとき、主のお答えをヨハネに教える者となり、主の言葉のゆえに、ヨハネは自分の弟子たちからの言葉を、素直に聞いたのです。 わたしたちが、イエス様の御声をこの耳で聞けるのは、この世の終わりのときでしょう。それまでは、イエス様の言葉を託された者たちから、それを聞くのです。バプテスマのヨハネですら、そのようでした。 わたしたちが、イエス様の声をじかに聞くことができず、かえって、聖書からだけ聞くことができ、聞くべきであるのも、同じことです。「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに聞くのである」。みなさんが、このわたしという愚かな者の言葉に聞くのは、その言葉が、まことにイエス・キリストの言葉である限りにおいてです。 弟子たちは、ヨハネに伝えます。「わたしたちは、その栄光を見ました。目の見えない人が見え、足の不自由な人が歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされております」。 この世の成り行きは、その反対です。初めから終わりまで、目の見えない人は見えないまま、足の不自由な人は歩けないまま、耳の聞こえない人は聞こえないまま、死者は死んだままで、よみがえったことはなく、喜びの知らせは、裕福な者にだけやってきて、貧しい人には来たためしがない、というのが実情です。 しかし、イエス・キリストのもとで、この世の成り行きというものは、その悲しみの歩みを断ち切られます。夜の闇が、一瞬の閃光によって断ち切られるように、主イエスによって、この世のむなしさは断ち切られた-主のおられるところ、その御言葉によって、世の一切は変わる。奇跡的な救い、まことの癒し、死の力を打ち破る命-そのようなものが、ヨハネの弟子たちが伝えたことでありました。 この方以外に救い主はいない、神の子、主とは、このお方のことである。人はただ、このお方を信じさせていただき、このお方と共に生きることができるのみである。主イエス・キリストを伝える者は、常にこのことを告げるのです。 「わたしに躓かない者は、幸いである」。キリストは、終わりに、そのように付け加えられました。わたしたちが、本当にそのような言葉を、イエス様ご自身の言葉として受け入れるならば、そのとき、神の力はその人のうちに示され、信じる人自身の救いが、神の栄光を伝えるものとして、明らかにされます。 神の言葉は、主イエスの言葉でありますから、それは、あらゆる躓きを取り除き、罪を取り除き、悪しきものを人生の外へと追いやる。わたしたちは、それを信じることができるでしょうか。いや、信じること自体が、実際には、御言葉から来ます。 それはむなしい言葉ではない、キリストのお答えがむなしく返ることはない、御言葉は、この世を造り、これを愛された、創造主の言葉でありますから、わたしたちの、無に等しい心の中に、信じる心を、信仰を、造り出す力を持っています。そうです、それこそ、主の言葉、わたしたちが牢獄の中にいようとも、救いをもたらす力を持つ、イエス・キリストの言葉なのです。
by psalm23-6
| 2008-04-04 22:02
| 聖書からの説教
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psalm23-6 at 2008-04-04 22:12
繰り返し、神を礼拝して、そのお答えをいただくこと。それは、求道という間違った仕方で、神を求めている者には、不思議なこと、無意味なことに映るだろう。人間が救われるということは、何かを自分のものにするということではないからだ。キリストの前では、かえって、自分が神のものにならせていただくということが、最初で最後のことであるから、それはまったく求道ではない、まさにわたしたちを求めたもう神のもとへ、わたしたちが帰るということ以外のことではない。それであるから、神とわたしたちとの交わりは、繰り返され、尋ねられ、応えられるという、信頼と愛の営みとなる。それが信仰というものであり、信仰に宿る命というものである。ヨハネをはじめとして、信じる者こそ、危急の時にあって、救い主との交わりを求め、地上の戦いを耐え忍んできたのだ。
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